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名古屋高等裁判所 昭和28年(ネ)11号 判決

控訴人 被告 乙部嘉七 外五名

訴訟代理人 江口三五 下条正夫

被控訴人 原告 玉木喜平

訴訟代理人 端元隆一

主文

控訴人乙部嘉七、同高橋礼蔵、同大野操の本件控訴を棄却する。

原判決中控訴人大野操に関する部分を左の如く変更する。

控訴人大野操は被控訴人に対し岐阜市真砂町七丁目十五番宅地十六坪一合を其の地上に存する木造トントン葺平家建住家一棟建坪九坪を収去して明渡せ、

原判決中控訴人横山利雄(脱退)に関する部分を取消す。

引受参加人株式会社日本勧業経済会に対する被控訴人の請求を棄却する。

控訴費用中控訴人乙部嘉七、同高橋礼蔵、同大野操に関する部分は同控訴人等の負担とする。

控訴人横山利雄(脱退)、引受参加人株式会社日本勧業経済会に関する訴訟費用は其の第一審に関する部分は同参加人の負担とし当審に関する部分は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人の陳述

一、被控訴代理人は株式会社日本勧業経済会をして控訴人横山利雄(脱退)に対する本件訴訟を引受けしむべき旨の申立を為し、控訴人大野操、横山利雄に対する請求の趣旨を左の如く訂正する。即ち「控訴人大野操は被控訴人に対し岐阜市真砂町七丁目十五番宅地三十二坪二合中原判決添付図面記載の(ロ)(ト)(ヘ)(ホ)(ロ)点を結ぶ範囲の部分を其の地上に存する木造トントン葺平家建住家一棟建坪九坪を収去して明渡せ」とあるのを「控訴人大野操は被控訴人に対し岐阜市真砂町七丁目十五番宅地十六坪一合を其の地上に存する木造トントン葺平家建住家一棟建坪九坪を収去して明渡せ」と訂正し、

「控訴人横山利雄は被控訴人に対し岐阜市真砂町七丁目十五番宅地三十二坪二合中右図面記載の(ト)(チ)(リ)(ヘ)(ト)点を結ぶ範囲の部分を其の地上に存する木造瓦葺二階家一棟建坪十二坪二階十二坪を収去して明渡せ」とあるのを「控訴人横山利雄の引受参加人株式会社日本勧業経済会は被控訴人に対し岐阜市真砂町七丁目十五番ノ二宅地十六坪九勺を其の地上に存する木造瓦葺二階建店舗建坪十二坪七合三勺二階坪十二坪七合三勺を収去して明渡せ」と訂正する。

二、控訴人大野操、横山利雄は岐阜市真砂町七丁目十五番宅地三十二坪二合について共有物分割を為し控訴人大野操は其の占有部分を岐阜市真砂町七丁目十五番宅地十六坪一合として取得し昭和二十八年二月十八日岐阜地方法務局受付第一六六七号を以て其の所有権取得登記を為し、控訴人横山利雄は其の占有部分を岐阜市真砂町七丁目十五番ノ二宅地十六坪九勺として取得し昭和二十八年二月十八日岐阜地方法務局受付第一六六八号を以て其の所有権取得登記を為した。そして控訴人横山利雄は本訴繋属中なるにも拘らず引受参加人株式会社日本勧業経済会に対し右宅地及其の地上の建物木造瓦葺二階建店舗建坪十二坪七合三勺二階坪十二坪七合三勺(従前此の建物を木造瓦葺二階家一棟建坪十二坪二階十二坪と主張していたが間違につき上記の如く訂正する)を売却し昭和二十八年二月十八日岐阜地方法務局受付第一六六九号を以て右所有権移転登記を経由し右引受参加人株式会社日本勧業経済会は右宅地を占有使用しているのである。仍て請求の趣旨を前記一、の如く訂正する。

三、控訴人等は権利濫用を主張するけれども被控訴人は控訴人等の権利を害することを目的として本件借地権を主張しているのではない。被控訴人は従前から本件借地権を保有しており其の借地上に自営の旅館を設け之に自営の劇場に出演する旅役者等遊芸人を宿泊せしめ観劇料のコストを低廉ならしめんとして予てから計画し其の準備途上において控訴人乙部嘉七は被控訴人に借地権の存することを知りながら安価に本件係争宅地を買入れ、又其の余の控訴人等は本件訴訟の繋属中借地権が被控訴人に在り係争中なることを知悉しながら頗る安価に本件係争宅地を買入れたものであつて今更被控訴人に対し権利濫用を主張することこそ社会正義に反する。

控訴代理人の陳述

一、被控訴人の借地権の範囲は特定していない。

岐阜市真砂町七丁目十三番宅地は以前訴外鈴木なかの所有であつて其の換地前の地積は四百五十坪四合八勺であつたところ右土地は特別都市計画法に基き岐阜市において施行せられた土地区劃整理により三百六十三坪二合に減歩せられ同市真砂町七丁目地内の大略原位置において三百二十二坪二合と同市吾妻町地内において四十一坪と二箇所に分離して其の換地予定地が指定され昭和二十一年四月十九日に其の旨の発表があつた、其の後同年末頃鈴木なかは右土地全部を一括して訴外宮崎、石槫両名に売却し同人等は右換地予定地の真砂町七丁目地内三百二十二坪二合を十三番、二百一坪、同番ノ二、三十二坪二合、同番ノ三、二十七坪、同番ノ四、三十四坪、同番ノ五、二十八坪に、又吾妻町地内四十一坪を同番ノ六、四十一坪に分割し登記簿上は鈴木なか名義にて

真砂町七丁目十三番 二百九十坪四合八勺(昭和二十二年十一月二十日受付)後に二百四十二坪二合四勺(昭和二十三年二月十八日受付)

同番ノ二 四十坪(昭和二十二年十一月二十日受付)

同番ノ三 四十坪(前同日受付)後に三十二坪四合(昭和二十三年五月十三日受付)

同番ノ四 四十坪(昭和二十二年十一月二十日受付)

同番ノ五 四十坪(前同日受付)

同番ノ六 四十八坪二合四勺(昭和二十三年二月十八日受付)

と分筆の登記をして同市都市計画課に其の旨届出で同所備付図面に前記換地予定地分割の記載を受けた。

そして右の内

十三番ノ二が控訴人大野操及横田利雄の共有に

同 番ノ三が控訴人高橋礼蔵に

同 番ノ四が控訴人乙部嘉七に

夫々所有権が移転され且其の登記(登記簿上は鈴木なかより直接又は第三者を経て)が為された。

右三筆の土地については(其の他の土地と共に)昭和二十六年九月十四日に換地認可になり其の地番は同年十一月七日登記受付を以て

十三番ノ二が真砂町七丁目十五番宅地三十二坪二合

同 番ノ三が同所 十四番宅地二十七坪

同 番ノ四が同所 十六番宅地三十四坪

と変更された(以下此の三筆を本件土地と略称する)。

ところで被控訴人の主張によれば被控訴人は換地前の真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺の全部につき借地権を有していたのではなく其の中の一部百十四坪のみを前記鈴木なかより賃借していたのに過ぎない。然らば被控訴人が本件土地につき借地権ありと謂わんが為めには換地前の借地部分百十四坪が換地後の本件土地と同一である所以の主張及立証を要する訳であるが此の点について被控訴人は換地前の借地百十四坪の位置に本件土地三筆が地理的に存在する事実を主張立証しているのみであつて果して被控訴人の借地権は換地中の何れの部分に如何なる範囲で特定して存するかについては何等の証明はない、従つて被控訴人の借地権が本件三筆の土地上に存することの確認(土地明渡請求は其の前提として賃借権の確認を含む)を求め得べきではない。

二、被控訴人の借地権の換地による消滅

被控訴人の借地部分百十四坪については被控訴人より市当局に対し借地権の届出を為さず、其の結果真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺の換地予定地上に其の借地権の範囲の指定を受けなかつた。法は従前の土地の一部に既登記の所有権以外の賃借権等の権利があるときは其の権利証書の提出や権利者及義務者連署の届出により換地交付の際に換地上に其の権利の目的たる部分を「指定」することにしているのである(耕地整理法第三十三条、都市計画法第十二条第二項、特別都市計画法第一条第一項、第十四条第二項、同法施行令第四十五条)そして此の法律に基く行政庁の形式的行為である「指定」により換地上における権利の目的の範囲が特定するが故に従前の土地の一部の借地権等が換地の中の指定された部分に移るのであつて右行政庁の指定以外の方法を以て換地上における右権利の範囲を特定する方法はないのである。然るに被控訴人の借地部分百十四坪については市当局に借地権の届出が為されず其の為め真砂町七丁目十三番宅地の換地予定地上に其の借地権の目的たる部分の指定がなかつたことは明かなところであるから被控訴人の右借地権は換地予定地指定の際消滅し其の結果本件三筆の土地のみならず其の他の真砂町七丁目十三番宅地の換地にももはや存在しない。

三、権利の濫用

被控訴人の本訴請求は権利の濫用の典型的なものである。

控訴人乙部は以前真砂町八丁目十三番地の借家に居住していたが戦災により家は焼失し敷地は道路となつた為め附近の土地を山崎某より賃借し家を建築したところが山崎より土地明渡の申出があつた為めやむを得ず家を売り其の金で何も知らずに本件土地を買つたのである、そして家の明渡を迫られていたので急いで本件土地に建築を始めたところ被控訴人は山田親分に依頼し其の子分等をして建築を妨害させた、それでやむなく調停の申立をしたのであるが後に山田親分が被控訴人に非のあることを認め妨害を取止め控訴人に建築をすすめたので建築を続行し調停を取下げたのである、控訴人乙部は現在父母、夫婦、子三人の七人暮しで細々と錻力屋を営んでいる。

控訴人大野は以前本郷町一丁目の借家に居住していたが建物疎開により取毀され土地は道路敷地となつたので其の後西野町、島等で間借又は借家生活をしていたが女手に子供二人を抱え生活上本件土地家屋を買い、おでん屋を始めたが失敗し現在ズボン製造の内職をして辛うじて子供等を養育している。

控訴人高橋は以前加納の借家に居住していたが戦災を受け則武の親許に間借し後に早田に小屋を建てて居住し一方岐阜駅前にて約三坪を借地して自転車修繕業を営んでいた、間もなく駅前の土地を追立てられたのでやむなく本件土地家屋を買い営業を続け夫婦と子供五人が細々と生活している状態である。

控訴人横山(脱退)は以前伊吹町の借家に居住していたが戦災後は忠節、湊町、西野町等で転々と間借生活を送り後に本件土地家屋を買つて岐阜電報局に勤務する傍ら化粧品店を営んでいたが失敗し現在弟妹等と共に五人暮しであるが窮迫した生活を送つているのである。

右のように控訴人等の三名は罹災者、一名は建物疎開の犠牲者であつて何れも何も知らないで全資力を傾けて本件土地家屋を入手し之によりて辛うじて生活を維持している者達であり本件土地家屋を追われることは控訴人等及其の家族計二十二名にとつては生活を奪われるに等しい。

之に反し被控訴人は終戦後如何にして資金を獲得したのか逸早く自宅、劇場、ダンスホール等を建築し本件土地の如きは永らく放置して顧みなかつたのであり其の必要性は頗る薄いのである、本件土地上の家屋建築に際しても控訴人乙部に対して前記の如く妨害したのと同控訴人及杉山代吉(控訴人高橋の土地家屋の前所有者)に対して仮処分を行つたに過ぎず他の控訴人等及其の前所有者に対しては何等の措置も講じていない。

されば地代支払義務を履行せず、権利放棄に近い状態にて借地を放置し、しかも他に自宅、劇場、ダンスホール等を所有して借地の必要性の甚だ薄い被控訴人が、善意で土地を取得し其の上に家屋を所有し生活上全面的に依存していて土地家屋を失うことは生活を奪われるに等しい控訴人等に対し家屋の収去と土地明渡を要求することは正に権利の濫用である。

四、被控訴人の引受参加申立に異議はない。

引受参加人日本勧業経済会等は何等の陳述をしない。

以上の外当事者双方の事実の陳述は原判決事実摘示と同一であるから之を引用する。

証拠として被控訴代理人は甲第一乃至六号証同第八乃至十四号証を提出し原審における証人鈴木伝七(第一、二回)、高橋はる、村瀬五三九、角太一、難波信一、守屋定、原源市の各証言、鑑定人道家準教の鑑定の結果、検証の結果(第一、二回)、被控訴本人玉木喜平訊問の結果、当審証人井上伝三、大野永一の各証言を援用し、乙第一号証の成立は不知、其の他の乙号各証の成立を認め、丙第五号証の成立は不知、其の他の丙号各証の成立を認めると述べ、控訴代理人は控訴人全員の為めに乙第二乃至九号証を提出し、当審における証人太田保光の証言、検証の結果を援用し甲第十三、十四号証の成立を認め、控訴人乙部嘉七、大野操、横山利雄(脱退)の為めに乙第一号証を提出し原審証人安藤栄吉、鈴木伝七(第一回)の各証言を援用し甲第一乃至六、九、十号証の成立を認め同第八号証の市長作成部分の成立を認め其の他の部分の成立は不知、同第十一、十二号証の成立は不知、同第一号証を利益に援用し、控訴人高橋礼蔵の為めに丙第一乃至七号証、同第八号証ノ一、二、同第九、十号証を提出し原審における証人太田保光の証言、検証の結果、控訴人高橋礼蔵本人訊問の結果を援用し、甲第一乃至六、九、十号証の成立を認め同第八号証の市長作成部分の成立を認め其の他の部分の成立は不知、同第十一、十二号証の成立は不知と述べた。

理由

第一、被控訴人の借地権の有無について。

成立に争なき甲第一、二、三号証、原審証人鈴木伝七(第一、二回)の証言、原審における検証の結果(第一、二回)、被控訴本人訊問の結果によれば昭和十一年九月一日被控訴人は訴外鈴木なかより岐阜市真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺の内百九坪を建物所有の目的を以て賃料一ケ月二十七円二十五銭の定にて賃借し昭和十三年春頃右借地に五坪を増して計百十四坪とすると共に賃料を一ケ月二十八円五十銭に改定したこと、被控訴人は右借地上に百貨店用店舗二階建木造瓦葺亜鉛板葺建坪九十六坪六合二勺四才、二階九十五坪八合七勺四才を建設所有していたが右建物は昭和二十年七月九日の空襲によりて焼失したことを夫々認め得る。

控訴人等は右賃貸借は一時使用の目的で期間を三ケ年に限つたものであると主張し前記甲第一号証土地賃借証書に「賃借期間は昭和十一年九月一日より向う三年とする、期間経過後は異議なく本件土地を明渡す、但し期間経過後は一週間内に双方協議整いたるときは期間を延長することあり、若し協議が整わざる場合は即時明渡す」旨の記載があるけれども前記証人鈴木伝七(第一、二回)の証言、前記被控訴本人訊問の結果及甲第一号証中「期間経過後は貸主の請求あるときは何時にても賃料増額に応ずる」旨の記載によれば右三年の期間は慣例上の地代据置の期間を定めたのに過ぎず当事者双方の意思は一時使用の目的で右期間満了を以て賃貸借を終了せしめる意思ではなく被控訴人は前記の如き建物を建設所有し右期間経過後も鈴木なかは何等異議なく賃貸借を継続していたことを認め得るから右は一時使用の目的ではないと認めるのが相当であつて建物の種類及び構造を定めていない右賃貸借契約においては其の賃貸借期間は昭和十五年九月二十五日勅令第六百二十一号借地法及借家法ノ施行期日及施行地区ニ関スル件、借地法第十七条第一項により昭和十一年九月一日より二十年間と謂うべきである、(但し罹災都市借地借家臨時処理法第十一条の規定上期間満了は昭和三十一年九月十五日となる)右認定に反する原審証人安藤栄吉の証言は措信し難い。

控訴人等は前記建物の罹災後被控訴人は借地権を放棄したと主張するけれども之を認めるに足る証拠はない、却て原審証人高橋はる、村瀬五三九の各証言、原審における被控訴本人訊問の結果、当審証人井上伝三、大野永一の各証言及成立に争なき丙第一号証によれば被控訴人は昭和二十七年七月分迄の家賃は其の当時迄に支払つており前記建物焼失後其の焼跡に更に建物築造の目的で焼跡を整地し建築の準備上昭和二十年九月頃には一間半に二間位のバラックを建て昭和二十一年九、十月頃引続いて借地する為めに地料の受領方を申出でたところ鈴木なかは区劃整理中であるからと言つて地料を受取らなかつたので被控訴人は昭和二十二年十一月二十八日に昭和二十年八月分以降の賃料を供託したのであつて被控訴人は借地権を放棄したようなことはないことを認め得る、右認定に反する原審証人鈴木伝七(第一、二回)の証言は措信し難く原審及当審における証人太田保光の証言は右認定を覆すに足りない。

控訴人等は被控訴人は訴外角太一に対し借地を無断転貸したから賃貸借契約を解除すると主張するけれども右無断転貸を認めるに足る証拠はない、原審証人角太一、村瀬五三九の各証言、原審における被控訴本人訊問の結果を綜合すれば被控訴人は戦災後前記借地の焼跡を整地して建築の準備をしていた頃訴外角太一に材木の購入を世話して貰うつもりで建築開始のときは何時でも取除くことを条件として昭和二十一年十二月頃から昭和二十三年八月頃迄無償で右焼跡に材木を置くことを許容していたことが認められるが右の如く終戦直後建築統制、資材入手難で順調に建築が進捗できない当時焼跡に容易に移動し得べき材木等を暫時置くことを許す程度のことは何等排他的独占的な土地占有を得しむるものではないから未だ以て土地の賃貸借若しくは使用貸借と認め難く、無断転貸行為ありと主張する契約解除は理由がない。

以上の事実によれば被控訴人は罹災都市借地借家臨時処理法第十条に所謂罹災建物が滅失した当時から引続き借地権を有するものであることは明かであると謂わなければならない。

第二、岐阜市真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺の土地所有権の移動。

原審証人鈴木伝七(第一、二回)、難波信一、原源市、守屋定の各証言、成立に争なき甲第五、六、九、十、十三号証、乙第二乃至第七号証、丙第六、七号証、原審における検証の結果(第一、二回)を綜合すれば訴外鈴木なかは其の所有にかかる岐阜市真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺を訴外宮崎某、石槫某を通じて分筆して売却したのであるが右宅地の一部については昭和二十二年十一月二十日鈴木なか名義を以て同所十三番ノ二宅地四十坪、同所十三番ノ三宅地四十坪同所十三番ノ四宅地四十坪、に分筆して其の登記を為し、(一)昭和二十三年二月十二日鈴木俊(脱退せる原審被告)は右十三番ノ二宅地四十坪を買受け同月十三日鈴木なかより直接所有権移転登記を受け、同年五月二十五日鈴木俊は右宅地を控訴人大野操及脱退せる控訴人横山利雄に売渡して同年七月三十一日其の移転登記を為し、(二)昭和二十二年十一月二十三日沢田昇(脱退せる原審被告)は右十三番ノ三宅地四十坪を買受け同月二十五日鈴木なかより直接所有権移転登記を受け昭和二十三年五月十三日沢田昇は右十三番ノ三宅地を分筆して其の一部を同所十三番ノ三宅地三十二坪四合となし之を同日訴外杉山代吉に売渡して其の移転登記を為し、昭和二十三年十月二日高橋豊(脱退せる原審被告)は右宅地を杉山代吉より買受け同月十八日其の所有権移転登記を受け、昭和二十三年十二月十四日控訴人高橋礼蔵は右宅地を高橋豊より買受け同日其の所有権移転登記を受け、(三)昭和二十二年十一月二十日控訴人乙部嘉七は前記十三番ノ四宅地四十坪を買受け同月二十一日鈴木なかより直接所有権移転登記を受けたこと、岐阜市真砂町七丁目十三番宅地四百五十坪四合八勺は前記の分筆が行われるより前に特別都市計画法に基き岐阜市において施行せられた土地区劃整理により三百六十三坪二合に減歩され真砂町七丁目地内の原位置において三百二十二坪二合と吾妻町地内において四十一坪と二箇所に分離して其の換地予定地が昭和二十一年四月十九日に指定されたのであつて前記分筆された(一)(二)(三)の宅地については昭和二十六年九月十四日本換地が確定し(一)の控訴人大野操横山利雄共有の十三番ノ二宅地四十坪は真砂町七丁目十五番宅地三十二坪二合として原判決添付図面(ロ)(ト)(チ)(リ)(ヘ)(ル)(ロ)を結ぶ範囲の土地が換地確定し、(二)の控訴人高橋礼蔵の所有する十三番ノ三宅地三十二坪四合は同町七丁目十四番宅地二十七坪として原判決添付図面(リ)(ヌ)(オ)(ハ)(ル)(ヘ)(リ)を結ぶ範囲の土地が換地確定し、(三)の控訴人乙部嘉七所有の十三番ノ四宅地四十坪は同町七丁目十六番宅地三十四坪として原判決添付図面(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(イ)を結ぶ範囲の土地が換地確定したこと、昭和二十八年二月十七日控訴人大野操、横山利雄は其の共有に係る前記換地された十五番宅地三十二坪二合を分割し控訴人大野操は同所十五番宅地十六坪一合を取得し、横山利雄は同所十五番ノ二宅地十六坪九勺を取得して同月十八日夫々分割による所有権取得の登記を為し、昭和二十八年二月十七日横山利雄は右十五番ノ二宅地十六坪九勺を引受参加人株式会社日本勧業経済会に売渡し同会社は同月十八日其の所有権移転登記を受けたことを夫々認定することができる。

第三、第一に認めた被控訴人の借地権が第二の換地即ち(一)真砂町七丁目十五番宅地十六坪一合(控訴人本野操所有)、同所十五番ノ二宅地十六坪九勺(引受参加人株式会社日本勧業経済会所有)、(二)同所十四番宅地二十七坪(控訴人高橋礼蔵所有)、(三)同所十六番宅地三十四坪(控訴人乙部嘉七所有)の上において原判決添付図面(イ)(ロ)(ト)(チ)(リ)(ソ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(イ)を結ぶ線を以て囲まれた地域に存すか否かについて。

原審第一、二回検証の結果、原審証人村瀬五三九、難波信一、守屋定、原源市の各証言、原審における被控訴本人訊問の結果を綜合すれば被控訴人が所有していた罹災家屋の敷地である借地百十四坪は真砂町七丁目道路の交叉する部分に西側及南側を接して存在し其の北側は原判決添付図面(ソ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)の線に達し東側は稍(レ)(イ)の線を東方に超えていて其の面積は殆ど前記罹災建物の床面積九十六坪六合二勺四才に充たされていて結局前記(一)(二)(三)の換地の殆ど全部が右建物の床面に蔽われていたことを認め得る((ソ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(イ)の線の南側が僅かに一間乃至一尺位の幅で床面に蔽われていなかつただけである)、そして従前の或る一筆の土地の一部に存した借地権は其の一筆の土地内で占めていた位置にふさわしい部分を換地の上で占めるものとするのが相当であり殊に本件の如く従前の土地と同一の場所に換地があつた場合は尚更のことである、前記の証拠によれば従前の土地真砂町七丁目十三番地四百五十坪四合八勺は真砂町七丁目道路の交叉する部分の東北側を占め其の内被控訴人の借地百十四坪は前記の如く右道路の交叉する部分に面していたのであるから換地についてもそれにふさわしい部分として前記道路の交叉する部分に面接して其の東北側に存する部分即ち(一)(二)(三)の換地上原判決添付図面(イ)(ロ)(ト)(チ)(リ)(ソ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(イ)を順次結ぶ線を以て囲まれた地域に存するものと認むべきである。又面積から見ても前記の証拠によれば従前の土地四百五十坪四合八勺に対する換地面積は三百六十三坪二合であつて従前の土地の約八割に当るところ前記換地上被控訴人の借地権の範囲と認むべき部分も亦従前の借地面積百十四坪に比較すれば其の約八割であることが認められるから換地上前記の範囲において被控訴人の借地権が存するものと認めるのが相当である、控訴人等は従前の一筆の土地の一部に存した被控訴人の借地権は其の一筆の換地上何れの部分に如何なる範囲で存するか特定せず之を確認し得ないと争うけれども前記説明の通り其の存在する部分及範囲を確認し得る更に控訴人等は被控訴人は特別都市計画法施行令第四十五条所定の届出をしなかつたから被控訴人の借地権は消滅したと主張し被控訴人が右の届出をしなかつたことは被控訴人の認めるところである、然し同令第四十五条は同令所定の期間内に賃借権等既登記の所有権以外の権利の届出がないときは区劃整理施行者は換地の交付を為すに当り右換地上の全部又は一部につき賃借権等の存する部分を指定しないというに過ぎず、右届出が為されず従つて指定がないときは賃借権等は消滅するものと解すべきではない、蓋し換地は従前の土地と看做されるのであつて(耕地整理法第十七条第一項、都市計画法第十二条第二項、特別都市計画法第一条)、即ち従前の土地に対する権利を消滅せしめて新たな権利を設定するものではなく従前の土地について存した権利関係を法律上当然そのまま換地に移行せしめるものであるから前記の届出、指定の有無を問はず従前の土地の上の賃借権等は換地の上に存するものと解するを相当とし、換地の如何なる部位範囲に存するかは右の指定が為されなかつた場合は当事者の協議によりて定められることもあり得べく争あらば確認の訴を以て確定せらるべきである、被控訴人の本訴請求は其の確認を包含しているのである。

第四、被控訴人は前記借地権を控訴人等及引受参加人株式会社日本勧業経済会に対抗できるかどうかについて。

一、引受参加人株式会社日本勧業経済会は前記第二に説明したように昭和二十八年二月十七日(翌十八日登記経由)に前記(一)の換地の一部の所有権を取得したものであるから其の取得は昭和二十一年七月一日から五箇年を経過した後のことに属し従つて罹災都市借地借家臨時処理法第十条により被控訴人は右引受参加人に対し前記借地権を対抗することができないから右引受参加人に対する請求は失当である、そして被控訴人の此の部分の請求は脱退せる控訴人横山利雄に対する訴訟の目的たる債務を承継した右引受参加人に対するものであつてそれが認定すべからざるものである以上原判決中横山利雄に関する部分を取消し右引受参加人に対する請求を棄却すべきである、

二、控訴人乙部嘉七、大野操、高橋礼蔵は第二に説明した如く何れも昭和二十一年七月一日から五箇年の間に借地権の目的たる土地の所有権を取得したものであるから前記処理法第十条により被控訴人は前記借地権を同控訴人等に対抗し得るものと謂わなければならない。

同控訴人等は被控訴人の罹災建物は登記がしてなかつたから罹災都市借地借家臨時処理法第十条によつて其の賃借権を対抗することはできないと主張し、右登記のなかつたことは被控訴人の認めるところである、然し同法条は「其の土地にある建物の登記がなくても」と規定しているだけであるから罹災建物が登記してあつたか否かの区別を問わず凡そ罹災建物が滅失した当時から引続き借地権を有する者を保護する趣旨と解するのが相当である、罹災建物の登記がしてあつて建物保護法上の対抗力を具えていた借地権に限つて処理法第十条の救済規定を設けたものと狭く解釈する必要はないことである、更に同控訴人等は排他性のない賃借権に基いて建物の収去土地明渡を求めることはできないと主張する、然し被控訴人は前記の如く従前の貸主の土地所有権を取得した同控訴人等に対し其の土地の賃借権を対抗し得るのであるから同控訴人等は被控訴人に対する関係において鈴木なかの賃貸人たる地位を承継しているのである、従つて同控訴人等は賃貸人として被控訴人に対し賃貸の目的たる土地を引渡し之を使用収益せしむべき義務があるのであるから被控訴人が賃借権に基き同控訴人等に対し借地上の同控訴人等の建物収去及土地明渡を求め得るのは明かである。

第五、権利の濫用、信義則違背であるかどうかについて。

原審における証人村瀬五三九の証言、被控訴本人訊問の結果、当審証人井上伝三、大野永一の各証言によれば第一に認定した如く被控訴人は終戦後間もなく自己の営業上建物を築造すべく本件土地の焼跡を整地した程であつて其の権利の行使は本件土地を自ら使用する目的に出で決して単に控訴人等の利益を害することのみが目的であるとは認め難い、而のみならず控訴人乙部嘉七が本件土地の所有権を取得したのは昭和二十二年十一月二十日であり原審における被控訴本人訊問の結果及成立に争なき甲第四号証によれば同控訴人は右地上に被控訴人が借地権を有することを主張していた為めに同年十二月十六日被控訴人を相手方として岐阜簡易裁判所に調停の申立を為し右地上に建物を築造できるようにとの申立を為し其の争が解決しない儘建物の築造を完成したのであり又本件記録によれば被控訴人は昭和二十三年二月二十七日には既に本訴を提起していて被控訴人は決して本件土地上の借地権を権利放棄の状態にしていたのではない、控訴人大野操、同高橋礼蔵は何れも前記第二に説明したように本件土地の訴訟繋属後に其の所有権を取得したものであり争のある土地であることは十分承知していたものと認められる、又成立に争なき丙第二、三、四号証、乙第八号証によれば被控訴人は他に居宅、劇場等宅地、建物を所有していることが認められるけれども之が為めに本件土地に対する被控訴人の権利行使を不当なりと謂い難く、被控訴人の権利行使の結果控訴人等が生活上及経済上不利益を蒙ることがあつても其の為めに被控訴人の権利行使をとがめることはできない、更に甲第一号証土地賃借証書には借主は貸主に対して迷惑をかける行為をしない旨の誠実義務を表明しているが本件土地の賃料が昭和二十年八月分以降未払になつていたことは前記第一に認定した如き事情によるものであつて罹災当時の混乱状態においてはあり勝ちのことで殊に原審証人鈴木伝七(第一、二回)の証言によれば鈴木なかは戦災により建物が滅失すれば改めて賃貸借契約を締結しない限り自然賃借権は消滅するものと信じていたことが窺えるのであつて地主が賃料を受取る意思のないことから賃料の支払が順調に行かなかつたことが認められるのである、以上の事情から見て被控訴人に権利の濫用又は信義則違背ありとは認められない、

第六、控訴人各自の建物収去土地明渡義務について。

以上説示の通り被控訴人は原判決添付図面(イ)(ロ)(ト)(チ)(リ)(ソ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(イ)を結ぶ範囲の土地について借地権を有することを控訴人乙部嘉七、大野操、高橋礼蔵に対抗し得るのであるから同控訴人等は右地域中夫々所有し且占有する部分を其の地上の夫々の所有建物を収去して其の土地を被控訴人に明渡す義務があるものと謂わなければならない、控訴人乙部嘉七が其の所有する真砂町七丁目十六番宅地三十四坪(換地)中原判決添付図面(イ)(ロ)(タ)(レ)(イ)を結ぶ地域を占有し其の地上に木造トタン葺平家建住家一棟建坪十五坪五合及其の他の被控訴人が請求の趣旨に掲げる建物を所有することは同控訴人の認めるところであるから同控訴人は右建物を収去して右占有部分を被控訴人に明渡すべき義務があり従つて被控訴人の同控訴人に対する本訴請求は認容せらるべきであり原判決は正当であるから同控訴人の本件控訴は之を棄却すべきである。

次に控訴人高橋礼蔵が其の所有する真砂町七丁目十四番宅地二十七坪(換地)中原判決添付図面(リ)(ソ)(カ)(ヨ)(タ)(ホ)(ヘ)(リ)を結ぶ範囲を占有し其の地上に木造トントン葺一部トタン葺平家建住居兼店舗一棟建坪十三坪五合、木造トタン葺平家建便所物置一棟建坪一坪を所有することは同控訴人の認めるところである、従つて被控訴人が同控訴人に対し右建物を収去して右占有部分の明渡を求めるのは正当であつて之を認容した原判決は正当であり同控訴人の本件控訴は之を棄却すべきである。

次に控訴人大野操が其の所有する真砂町七丁目十五番宅地十六坪一合の上に木造トントン葺平家建住家一棟建坪九坪を所有して右土地を占有することは同控訴人の認めるところである、従つて被控訴人が同控訴人に対し右建物を収去して右土地の明渡を求めるのは正当であつて之を認容した原判決は正当であるから同控訴人の本件控訴を棄却すべきである、唯原審においては十五番宅地は同控訴人と脱退せる控訴人横山利雄との共有に属していたところ当審において右土地について共有物の分割があつたから被控訴人は右分割による土地の表示の変更に従つて請求の趣旨を訂正した為めに原判決主文第二項を変更したのに過ぎない。

仍て民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条第九十三条第三百八十六条第九十六条第九十二条に従い主文の如く判決する。

(裁判長裁判官 中島奨 裁判官 石谷三郎 裁判官 県宏)

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